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常識を然り顔で言ってる奴ぁ、クソだな・・・。
そんなもの見にホームページへは行かない。ある程度その人の言葉で書かれた文章じゃなければ面白くないと思う。民主主義は数こそ力みたいなところあるけど、これが資本主義社会でつまずくパラドックスでもある。小学校の頃からデファクトスタンダードを見極めることしか能がないというか、どっちがポルシェビキなのかを上目づかいに恐る恐る探す輩が多くて辟易した。この時点で情報発信の潜在能力を失っていると言っていいだろう。既に体勢が受身というか、受信モードに体がなってしまっている。どんぐりの背比べのような集団の中で差別化を計ろうとすれば、皆極めて相対的にならざるを得ない。 発信するものを持ち合わせていないのである。誰かの受け入りなのである。それも媒体で人気のある人の評論なのである。 別に俺はジャンルどうこうで、そのサイトがどうのこうのいうつもりはない。家族紹介のサイト、果たして誰が見るのだろう?と疑問に思うことはあれ、その家族のひとりひとりが紹介されていると結構面白かったりする。結局○○家は○○家でしかないという、オリジナリティがあるから見ごたえがあるのかもしれない。まぁそういうサイトにめぐり合うのは家族紹介サイトを探して行き着いたわけでなく、なんらかのサイトに附随して家族サイトが併設してあってたまたま見たからなんだけど。でもよくセオリーに「家族の紹介をしても、誰もあなたのサイトを見ませんよ」みたいなことかいてあるけど、その家族をよく知る人や、併設されているサイトから偶然その家族を知って、その家族の雰囲気がどうにも暖かいものであれば、人は何度も訪れてしまうのではないか?こういう家族サイトはダメってタテ割に決め付ける文章とか見ると吐き気がする。 有益じゃないとサイトはいけませんよ。常識的でないといけませんよ。1日××アクセスないといけませんよ。うちは1日1000HITを誇るサイトです。うちは1日1ケタのアクセスしかないダメなサイトなんだ・・・。 もっと活き活きとした、あたかもサイトマスターがPCから出てきそうな人間臭いサイトに僕はずっと魅力を感じ続ける。数の多寡で優劣争ってるうちはオリジナリティは絶対にうまれない。ちょっとヒント。あるウェブサイトのLINKにそのお店の紹介がこう書いてあった。「当店ではガラクタしか売ってません。基本的に店員以外は皆売り物です」クリックせずにはいられなかったね! |