個人・小資本情報発信概論

20世紀、僕は衆愚の中で付和雷同を強要され、それに同化する最大限の努力をした。コミュニズムの掟、それは偏差値で換算される人間の価値。少年の頃からその違和感を全面的に感じ取ってしまっていた。自らを差別化、記号化させる道へ。それは自らを「個」と認めることと、一つ一つの他者をすべて「個」として見る目を養うことに始まった・・・。

act.2 見たり聴くのは自分じゃない、他人だ。

 情報発信の定義をずばり書こう。異論がある方はメールでもBBSででもご意見してください。「他人の欲しているであろう情報をお届けする」これ以外のなにものでもない。結果、自分が予測を立てて、「この情報は受け手がいるに違いない!」と意気込んで情報発信するものである。これは商用、非商用にかかわらずそうであろう。(act1と相反する言葉に聞こえるかもしれないが、現時的にそれを「情報」か「ゴミ」かに分別するのは受信側です)

 かつて「ミニFMは自己満足を追及すればいい」という論があったが、はっきりいってそれは情報発信とは言わないだろう。私はミニFMはあくまでも距離に規制のある、情報発信のツールという捉え方だ。発信というのは受信という相手側を意識して初めて成り立つものという意味のはずだ。つまり情報価値なんてものは受信側の判断に委ねるしかない。発信側は何らかの成果が出るまでは、「ほんとに届いているのだろうか・・・」という不安にさいなまれながらコンテンツを作っているのである。情報発信ビジネスというものはそれぐらいシビアなものだ。TVは郵政省の規制によってチャンネルが守られているが、こうなると判断が甘くなる。受け手の声を無視しはじめるようになる。FBが多すぎてさばききれず、結局クライアントの意見で番組が作られていく。ゆえに面白くなくなる。でもチャンネルは確保されてるから、さして危機感が無い。(ように見受けられる)

 ホームページもちょっと情報価値が落ちれば閲覧者はモロに反応する。厳しい現実的な数値ではね返ってくる。閲覧者が伸び悩んでいる・・・。又順調に推移していても、いつこの人たちが二度と見に来なくなるか・・・という不安と戦っている。ゆえにコンテンツ制作に力を落とせないのだ。しかし個人・小資本には金銭的・時間的制約と戦って情報発信している。たいがいここで負ける。うちもなんど負けたことか。「ああ負けた」で投げればそこで終わり、開放される。ホームページのめんどくさい更新から逃れ、時間的な余裕があなたを待っていることだろう。
 しかし俺は負けても負けてもあきらめきれなかった。いまだに全然勝っているわけではないが、一応なんとか命脈は保っている。負けた原因を分析し、次に活かし挑戦を続けた。学習効果が出たものも出ないものもある。ない頭を振り絞って考え、あるアイディアを具現化するために、それこそ這いずり回ってでも情報収集して前進させようという行動力だけはあるつもりだ。
 KZI.COMのコンテンツはそれぞれにいろいろな趣味の方が一部のコンテンツを楽しんでいる。まぁそんな現状認識である。今後この稿を読んでいる方だけでも着目していただきたいのは、KZI.COM及びそのコンテンツは新しい個人・小資本の情報発信のやり方を模索する、「そのやり方の情報」の情報発信という側面も捉えていただければ、と思う。もちろんこのこと自体「ゴミ」である可能性も強く、「何いってんだ、ボケ!」と言われるかもしれないが。

情報発信・・・それは決してスマートなものじゃない、最高に泥臭いものだ。甘い陶酔感に浸って「俺のデザインセンスはどうだ!」と時間をかけて作ったFLASHページを使ったって「うぜぇ〜、SKIPどこ?」としか思われないし、MIDIでオリジナル音楽いきなり流しても「Fuck'n!」の一言である。インターネットの世界は技巧派をまったく必要としてない。必要としているように仕向けているのは、需要を開拓せねばならない供給過多ぎみのWEBデザイナーといわれる職種の人たちがでっちあげたものであろう。WEBの世界は直球の速さを競う本格派しか生き残れないのである。愚直にマサカリ投法なんて負担のかかるダイナミックなフォームで40歳になっても、息子ぐらい年の差の離れた若い打者に力で立ち向かっていくぐらいじゃないとダメなのである。